http://thediplomat.com/2016/01/postwar-semantics-in-japans-self-defense-forces/
日米同盟は世界で最も強力な同盟の1つである。それは単に経済的・外交的な取り決めが多いというだけでなく、一般人ですら容易に気付き得る軍事的協力の深さである。自衛隊の人員はアジアにおける殆どの大規模な軍事演習において米軍と共に活動しているし、現在進行中の能力向上と技術交換は日米軍事パートナーシップをアジアで最も強固で先進的なものとした。両国は活動基地を共有しており、同じ海域をパトロールし、同じ空域で訓練を行う。端的に言えば、日米の軍事協力は良質で広範である。
ところが、日本に赴任した外国の士官は自衛隊特有の現象にすぐ直面する。それは、軍事用語が第二次世界大戦後の辞書では改訂されていることだ。歩兵や砲兵の日本語訳を考えても、"歩兵"や"砲兵"といった言葉を使っている人はいない。話し相手として大尉や少佐、大佐を探しても、彼が見つけるのは奇妙な数字で名付けられた人員たちだけだ(1等、2等、3等といったような)。"駆逐艦"や"巡洋艦"の情報を調べたい海軍士官は検索結果が出ないことに途方に暮れるだろう。
では、こうした言葉の歪みの原因は何なのだろうか?それは戦後の日本軍が軍事クーデター、憲法秩序の放棄、強欲な侵略戦争といった大日本帝国軍の戦時の負の遺産から自らを切り離そうとしたからだ。そのため、1951年に始まる日本の再軍備はある実験的取り組みをした。もし部隊、専門、艦船の区分け、更には軍人の階級に対してよりキレイな名前をつければ、軍国主義の再来の危険性が下がり、自衛隊が本物の軍隊であることが見えにくくなるのではないか?
新しい軍隊、新しい名前
アメリカの占領軍によって終戦直後に解体された組織の中の筆頭は大日本帝国陸軍と海軍である。本国に送還中の兵員は速やかに動員解除され、旧軍の士官たちは戦時の経験を活かせる場所を見つけられず彷徨っており、占領軍は彼らを再雇用するつもりなどなかった。帝国軍の徹底した動員解除とは裏腹に、冷戦への必要性から特別交渉官のジョン・フォスター・ダレスは1951年に、日本が国防のため(そしてソ連を妨げるため)の軍隊を編成するよう求めた。吉田茂首相は合計5万名の陸、海、空軍を創立すること、最終的には7万5千名にまで拡大することに合意した。旧陸軍と旧海軍が徹底的に解体されたため、日本は殆どゼロからのスタートをしなければならなかった。そしてアメリカはこの新しい軍隊の訓練や装備品の世話を。旧軍を解体したときのようなはやいスピードで行った。そのために、アメリカ陸軍の士官であるフランク・コワルスキー大佐が再軍備の指揮を取った。再軍備はこの記事に関連のある2つの大きな目標を持っていた。軍国主義の再起を防ぐため、帝国の邪悪な影響が絶対に士官たちに及ばないようにすること、そして可能な限り精神的に戦時の軍隊から独立した防衛軍を作ることである。これは旧来の軍事概念に対して新しい名前を開発することに繋がった。第二次世界大戦中に日本が日常的に使っていたような用語でさえ、アジア各地を行進した帝国軍旗を想起するような恐ろしさがあった。日本の国防軍創設に携わったアメリカ人はそのようなイメージが、アジアにおける将来の同盟国となりうるような国が米国の影響圏から抜け出すことや、突発的に日本で戦争感情に繋がると考え、それを避けた。従って、名称変更の最初の目標は出来る限り戦前と戦後の日本軍のイメージに距離(と違い)を作ることであった。自衛隊の士気、自尊心、そして市民がどう自衛隊を見ているかを考えるとき、これは重要な意味を帯びてくる。
戦前から戦後にかけての単語の変化は日常的に自衛隊と接触している人でなければ理解し難いだろう。微かな違いは、戦前と戦後で同じ翻訳の仕方をしている英語では表せない。例えば、新人の翻訳者は"infantry"を"歩兵"と訳すだろう---文字通り"歩く兵士"という意味の単語で、第二次世界大戦以前は確かに"infantry"は"歩兵"であった。しかし、実際には、戦後日本でこれは死語であり、正確には"普通科"という。これは字義通りには"一般兵"であるが、"infantry"を意味する。旧来からの軍事概念を示す戦後日本の新単語は、厳格で頑固な旧軍の亡霊を薄めるために、過去との分離を示している。
これが変化した頻出の用語のリストである。このリストは全ての語を含んではいないが、目的は明らかであろう。現代日本の用語は可能な限り"軍隊"のイメージを和らげるか、誤魔化そうとしている。
*面倒なのでここは訳しません
(略)
それはプライドであり、軍国主義ではない
自衛隊の観点では殆どの人員はこうした単語の違いに関して相反する感情を抱いている。馬鹿馬鹿しいと思うか、取り入れるか。結局のところ、効率的な戦闘部隊であることの大部分はプライドに依っており、毎日の任務で使われる用語が屈辱の過去や自らの歴史との断絶を思い起こすような場所で仕事をしていてはプライドは得られない。実のところ、自衛隊員と他国の軍人との日常会話では戦前の用語が思わず出てくることはよくあるし、階級や肩書の話では特にそうである。"航空自衛隊"の議論から始めても、会話が終わる頃には"空軍"という、自衛隊が公的文章では避けようとしている言葉を使っている。更に、伝統的な用語法では軍事組織というのは攻撃能力を含んでいるが、自衛隊は防衛的任務のみに制限されており、日本政府はその専守防衛のイメージを作り出すのに苦労した。従って、この苦労を無駄にするような用語は、特に政策レベルでは、避けられている。
東アジアでは非合理的な恐怖がしばしば沸き起こるけれども、古い用語に戻ってしまうことは、戦前の軍国主義に戻ってしまうことを意味しない。むしろ、彼らの口から古い用語が出てくるのは、他国で、そして200年間戦争をしていないスウェーデンやスイスのような国も含めて、国際的に戦前の用語が今でも使われているからである。通常会話でそういた単語が出てくるのは当然だろう。実のところ、自衛隊員がよくシンプルな"陸軍", "海軍", "空軍"といった単語を使うのは、ただ単に言いやすいというだけでなく、それらの単語が軍の歴史と文化の伝統を表象しているからでもある。自衛隊が"防衛軍"であるのはここ65年のことで、19世紀の創設以来それは"軍隊"であった。伝統というものはそうした歴史を引き継いでいるのだ。似たような事例として、アメリカが"戦争省"を"防衛省"に変えたとき、それは歴史的に区別し難いものであり、名前の変化はその省の目的に小さな変化を及ぼし、変化していく政治の世界を反映していたが、戦争省の伝統は名前の変化に関わらず、防衛省、個々人の中にまだ生きている。
現在への含み
この名前の変化は幾つかの含みを持っている。名前の変化を珍奇と後悔の念で見つめながら、太平洋におけるより活発な防衛パートナーを求めているアメリカのエリートもいる。多くの推測では、名前の変化は、GHQが持っていた脱軍事化という憲法9条に代表される理想主義的な目標を満たすことと、戦間期にドイツがそうなったように日本が軍国主義に再び戻る危険性を最小化することを目的とした実験であった。それでもやはり、新しい名前も習慣となり、習慣は伝統となりつつある。より直接的で"戦争っぽい"用語への回帰は単に一人前の軍隊の地位が戻るだけの結果に終わる、というのが最もあり得る話だ。
新たな用語を作り出し、古いものを消し去ることは、自衛隊と民間との間に溝を作り出した。当時既に軍は不人気ではあったが、基本的な役割の階級や名前を変えることで、軍事に関わることを避けていた一般市民は更に軍事への基本的な関心さえ失ってしまった。"軍曹"という単語を聞いたことは少なくともあり、軍隊での階級や仕事の大まかな違いぐらいは分かる一般的なアメリカ市民とは対照的に、長い間日本人は、最も貧しい者から政策決定者まで、自衛隊を積極的に蔑んできた。母国の人々に軽視され、意図的に去勢された名前を使うように強制された自衛隊が、古い名前をしばしば使うことは何ら不自然ではない。そうしなければ、歴史を無視するだけでなくて、自己嫌悪や部隊の士気悪化にも繋がってしまうかもしれない。
色々な意見はあるだろうが、自衛隊の任務や信用に関わる自衛隊の日常生活という、めったに語られないけれどもしかし常にそこにある側面を、ある理解されにくい意味で、戦後の軍事用語の変化は反映しているのかもしれない。特に、お互い違う意味で政治的に攻撃されている2つの辞書<語彙集>を持っていることで、自衛隊は歴史的なプライド・戦後の嫌悪と、彼らの通常任務に関わる信用・他国の軍隊は味わっていないような微妙な地位の間の不安定なバランスを取り続けている。
>John Wright is a U.S. Air Force officer and pilot. He is currently assigned to Tokyo as a fellow for the Mansfield Foundation, which is dedicated to U.S.-Japan cooperation via intense US federal employee exchange and placement in the Japanese government. The views expressed in this article are solely those of the author, and not those of the U.S. Air Force, U.S. Government, or Government of Japan.
私は自衛隊に勤務経験を持たないため、実際どの程度まで現役自衛官が"戦争っぽい"用語を使用しているから分かりません。
しかし、軍艦を全て"護衛艦"と称すなど、歴史のある国際的に用いられている軍事用語から過度に乖離してしまうことには意味はないでしょう。自衛隊は"自衛隊"であって軍隊で無いのでしょうか?戦後の日本において、自衛隊を軍と呼ぶことで避難されてきた政治家はたくさんいます。
しかし、建前はともかく、自衛隊が軍隊ではないと思っている人は実際にいるのでしょうか。しかも、自衛隊は公式な英語名をJapan Self-Defense Forcesとしていますが、forcesは一般的に"軍"と邦訳される言葉です。英語で"自衛隊"とはいえないのです。(Unitsでなくforcesにしたことは興味深いですね)
国内で蔑すまれてきた自衛隊ですが、近年ようやく地位を得つつあるように思えます。3.11以後の復興支援だけでなく、人民解放軍の強力さが知れ渡ってきていることもあるでしょう。
我々市民は自衛隊を蔑むことなく、しかし過大評価することもなく、文民の制御下にあるかを常々チェックしながら共生するべきではないでしょうか。
*この記事はThe Diplomatの許諾を得て翻訳しました。
This article is translated with the permission from The Diplomat.