2019年4月21日日曜日

Capitalism Lab: プレイ日記シナリオ1 "Fashion Venture"


目次


  1. 設定
  2. 現状の確認と方針策定
  3. 実際のプレイ開始





1. 設定


"あなたは自身のファッションベンチャーを設立するため、数年に渡って資金を集めようとしてきました。残念なことに、資金集めは困難で、時間がかかっています。あなたが自身のファッション企業設立に成功する頃(見込み2000年ごろ)までには、競合他社が市場で地位を確立しているでしょう。あなたは自身のブランドで市場の穴を突き、成功を収めることができるでしょうか?"


難易度はデフォルト設定、つまり難易度レーティング80%だそうです。

このシナリオは1990年スタートですが、説明文で述べられている資金集めの苦労を反映し、1995年まで一切の行動が取れません。

シナリオ目標は売上高1億ドル、営業利益1000万ドルを達成することです。

尚、Capitalismというゲームではお手軽に荒稼ぎする方法がいくつかありますが、このシナリオ攻略シリーズにおいては、指定されている"本業"とその周辺でのみ事業を展開することとします。
今回の場合はアパレルですね。



2. 現状の確認と方針策定


時は1990年。今回の市場は以下の4都市。



言わずとしれたファッションの世界的都市・パリ。人口も多く、賃金も高いため大きな需要が見込めるでしょう。今回の主要な消費市場になりそうです。

ソウルもかなりの人口と賃金で2番目に有望な市場。
マイアミは人口が少なめなので、大勢には影響しなさそうです。
ワルシャワの消費は全く期待できませんが、パリへの地理的近接性・低賃金を相まえて、今回の主要な生産拠点としましょう。

4都市のアパレル市場の合計は7800万ドルでした。
シナリオ目標の"売上高1億ドル"はアパレル市場だけで十分に達成できるでしょう。

※最終商品の売上7800万ドル。雑な計算ですが仮に製造原価が25%として一次製品の売上約2000万ドル。その一次製品の原材料の売上約500万ドル。これで合計1億300万ドル。実際には高付加価値商品により商品単価を50%上げるだけで最終製品の市場規模が1億1700万ドルになりますし、需要そのものも増加します。



次にアパレル商品における消費者の選好について。
ワルシャワでは賃金の低さゆえか、価格が消費者の購買決定の半分近くを占めます。
他3都市では、価格・品質・ブランドの3要素がバランスよく重視されるようです。

パリの市場規模と消費者選好


Capitalismにおいてはブランド力はブランド認知度(Brand Awareness)と顧客忠誠心(Brand Loyalty)の値の合計です。

ブランド認知度は文字通りブランドの知名度です。メディアで広告を出すことはもちろん、同じブランドで長期間・広範囲・多人数に販売することでも上がります。
顧客忠誠心は、簡単に言えば、商品を購入した後、またそのブランドの商品を買いたいと思う顧客の数と連動しています。商品の質と顧客の数の掛け算と考えても良いでしょう。良い品質の商品を多くの消費者に販売することで上がります。


つまり、品質はそれ自体が選好の一大要素であるだけでなく、もう一つの要素であるブランドにも密接に影響します。


従って、市場よりも高い品質の商品をブランディングすることを今回の企業戦略と設定します。

1995年1月1日、つまりプレイヤーにとっての実質のゲーム開始日時点において、プレイヤーは全ての製品において技術力19です。この状態でアパレル製品の生産を始めても、品質10~20程度となります。
例えばパリでは、市場の9割を占める地元の零細業者が作るジーンズの品質が36です。その半分以下の品質の商品など、ブランド力を考慮すると1/3程度の値段でも売れるか怪しいでしょう。
それでは全く利益になりません。それどころか売るだけ赤字です。

商品の自社生産はR&Dによって技術力を高めた後とします。



3. 実際のプレイ


とはいえ、R&Dを待ってるだけだと赤字を垂れ流しです。
何よりもです。

幸い、パリ、ソウル、マイアミの港からそれぞれジーンズとブレザー、セーターが輸入できます(需要過多ですが)。
とりあえず、地代上昇を見越した先行投資も兼ねて、パリ中心部にアパレル小売店を1店出し、輸入品を販売してみましょう。




また、人件費と土地代を抑えるためにワルシャワのど田舎にR&Dセンターを開設し、3ユニットのチーム2つでジーンズと織物を3年間研究します。ちなみに毎月約24万ドルの費用がかかっています。内訳は人件費14万ドル(24000*6)、土地維持費10万ドルです。


ここで各社のR&Dセンターを比較して初めて知ったのですが、どの都市でもR&Dセンターの人件費は均一(24000ドル/ユニット)なようです。
ワルシャワに作る必要はなかったみたいですね。
※工場や小売店の人件費は都市で異なります。



これで1年間様子を見てみましょう。

-1年経過-

なんと黒字化してました。
パリに出した小売店が毎月売上60万ドル、営業利益30万ドルを叩き出していたようです。
商品を横流ししただけなのに...



まだすることもないのでスキップします。



1996年、需要過多によりジーンズとブレザーの輸入が途切れます。

小売店で売るものがなくなってしまいました。
他にアパレル製品を生産している企業はないかな~と探したところ...

ないですね。
運の良いことに、染料、リネン、織物とアパレルの基本材料は全て港より品質60~70で手に入ります。

まだ研究は終わっていませんが、試しにブレザーを作ってみたところ、地場産業と同じ、品質35で生産できました。原材料の品質が良いことに感謝です。
これなら利益を産むことができるでしょう。

小さな工場の一部を使い、試験的に生産してみたところ、他社の小売店からの需要もありました。
フル生産体制に入ります。


1998年 ジーンズと織物の研究が終わりました。ジーンズ工場を建てるお金がないため、まず銀行から借金します。
尚、この工場は間違えてパリに作っていたようです。人件費が高かった...

新たに生産されたジーンズの品質は64、地場産業どころか復活した輸入品にも勝っています。




小売店1店では工場の生産力に対応できなくなったため、パリ2店目を開店。同時に、他社にも売り始めます。
売価はあえて低価格。顧客を増やし、ブランディングを狙います。値段はブランド確立後に釣り上げます。

いわゆるAmaz○n戦法

半年でブランド力は16まで向上しました。
※ちなみに、製品種別ブランド戦略を選択しています。つまり、自社のあらゆるアパレル製品はブランド力を共有します。

1999年期の売上は5500万ドル、営業利益は1700万ドルでした。この時点で営業利益の方の目標は達成。後は売上を倍増させるだけです。

R&Dの進展によりアパレル製品では圧倒的技術優位を手に入れ、ワルシャワにジーンズ、ブレザー、レザージャケットの工場を新設。ソウルとマイアミに小売店をオープンし、お金を惜しまず全力で広報します。

無事、12年目(実質7年目)の途中で目標を達成できました。




これにてシナリオ1、クリアです。

お読みいただきありがとうございました。


2016年6月8日水曜日

ドイツで学ぶHoI4初心者講座: ポーランドを倒そう

キリンは残酷な生物である、という非常に有用なtips


今回はHearts of Iron IVの基礎をドイツで学んでいこうと思います。使用したMod及びバージョンは以下の画像のとおりです。ドイツ国旗をハーケンクロイツにするもの、様々なボタンに色をつけるもの、ドイツ語翻訳を修正するもので、ゲーム内容自体を変更するものは入れていません。




国は当然ドイツを選択します。この時代のドイツはよくDrittes Reich, 第三帝国などと言われますが、建前上は、ドイツと言われている国の正式名称は1914年も18年も25年(所謂ワイマール共和国)も33年も44年でもDeutsches Reich, ドイツ帝国です。




まず最初にすることは研究です。左上のピンク色のボタン(Mod入れてない人はボタンに色はついていませんが、場所は同じです)を押し、研究画面を開きます。研究速度を上げる研究はこの手のゲームの常で優先的に研究します。次に工業、そして軍事関連...という優先順位をつけるのが一般的でしょう。



シリーズ経験者にはおなじみですが、技術の横に書いてある年号よりも早い段階で研究を行うと大きなペナルティーが入ります。極力、先行はするべきではありません。



そして内政(建設)です。左上真ん中の黄色のボタンです。HoI4ではインフラ、工場、レーダーなどを建設することで国力を上げることが可能です。今回はまず最初の1年を使って民間工場を建てます。



あらゆる建設は民間工場を最大15個使って行われます。従って民間工場の数は国力の増え方に直結します。

具体的な効果を見ていきます。
インフラ: 軍隊の移動速度上昇、補給限界を上昇

工場は二種類あります。
民間工場:  建設の基礎となる民間工場を増やします。民間向けの商品の生産が自動的に再優先され、残りを建設に使います。
軍需工場: あらゆる陸空軍の軍需品の生産に用いられます。

工場ではありませんが、造船所も軍需工場と同様に働きます。

人工的に戦略資源の一部である石油とゴムを生産する工場も作れます。しかし、交易で入手するほうが効率が良いため、交易を望めないような国(ドイツなど)以外では避けるべきです。


軍需品の生産です。左上右から3番めのオレンジのボタンです。ある物資の生産ラインに最大15個まで工場を割り振れます。一般に数が多いほど素早く生産できます。同じものを作り続けていると効率が上がり、より素早く生産できるようになります。生産が追いつかないと新しいユニットを配置できなかったり、既存の消耗したユニットに補給がされなくなったりします。




今回は戦闘機であるBf 109に最大数の工場を割り振ります。戦闘機は今作では非常に重要です。特にドイツでは制空権を取られると本土が爆撃にあい、内政が無駄になりえます。
(ちなみに爆撃で破壊された工場は建設キューに自動的に追加され、修理されしだい再稼働します)



そしてHoI4の目玉、国家精神です。左上の国旗をクリックし、指導者の顔の右側、×印の下の大きな四角のボタンをクリックするとこの画面が開けます。
70日かけて1つ進めることができます。国家の方向性を左右するようなイベントは全てここから行います。ドイツでは、最初に赤枠で囲った左側のラインを進めることをおすすめします。最初の項目でインフラ整備(Reichsautobahn, アウトバーン)、2つめと3つめで民間工場をもらえます。これは大きな内政ブーストです。



そして遂に軍隊の生産です。第一次世界大戦の敗北によって軍備を大きく制限されているドイツにはまともな軍隊がありません。とりあえず歩兵師団を10個生産キューにぶち込みます。デフォルトでは無限に生産が繰り返されます。




それでは時間を進めましょう。速度は4か5で。

政治点(左上、左から2番めの数値)が150以上たまったら、左上の国旗をクリックして、政治画面に入ります。アドバイザー的な人や会社を雇ったり、政策を変更したりできます。とりあえず上段右端をクリックし、政治点を増やしてくれるルドルフ・ヘスを雇いましょう。









イタリアは開始時からエチオピアと戦争しています



もう一度政治点がたまったら、中段右端をクリックし、ハインツ・グデーリアンを雇いましょう。
ゲームに慣れてきたら自分好みに選んで結構です。




1つ目の研究が終わりました。今作では全ての技術を研究することはできません。相互に矛盾する研究があるためです。例えば工業研究では工場を集中して配置するか、分散するかが分かれています。今回は分散(右側)させてみましょう。効率は若干落ちますが、空襲に強くなります。
この他、例えば軍事ドクトリンも数種類のうち1つしか選べません。ドイツは初期から機動戦が選択されています。その他の国家では、こうした研究の選び方が貴方の国家の特徴となっていきます。








スペイン内戦。義勇軍を送れば経験値を稼げますが、面倒なので今回はパス



国家精神の左側のラインが4つ終わったら、ラインラントに進駐しましょう。

ラインラントはドイツの土地だ!


当面の目標であるオーストリア併合のイベントを起こすためには、550k以上の陸軍を所持していなければなりません。兵士を増産します。徴兵は左上の右から2番め、紫のボタンです。




機甲戦力も作ります。電撃戦の要です。



本来は最初にすべきことを忘れていました。政治欄の上段左から3番め、経済政策を"戦争経済"に変更します。市場が統制されていればいるほど、指導者は国力をより発揮できます。



オーストリア併合イベントの発生条件が満たせていないため、軍隊の改革などでお茶を濁します。


生産された航空機は予備に編入されています。実際に使うためには、飛行場をクリックし、右上の飛行機の上に+がついているボタンを押し、予備役(左)から飛行場(右)に航空団を移す必要があります。




さきほど陸軍を増産したため、徴兵可能人口が100万人しかいないというのが寂しく見えてきました。政治タブの上段左端で徴兵制度を変え、マンパワーを増やします。




オーストリア併合までは特にすることはありません。建設、研究、国家精神の進捗が止まらないようにだけ気をつけます。

オーストリアがドイツじゃないわけないだろ?

ドイツが中国に派遣している軍事顧問を帰国させろと日本

そうこうしているうちに3号戦車 Panzer IIIの研究が終わりました。これは今まで生産していた2号戦車と同じ軽戦車に分類されます。2号戦車の生産ラインをクリックし、3号戦車に置き換えましょう。そのうち全ての2号戦車が3号で置き換えられます。3号戦車を生産ラインにいれなければ、当然ながら、あなたは2号戦車で戦い続けることになります。



4号戦車の研究も終わりました。今までの戦車師団は軽戦車旅団*4と自動車化歩兵旅団*2で構成されていましたが、軽戦車旅団のうち2つを中戦車旅団で置き換えます。徴兵タブを開き、中央に出てくるテンプレートから戦車師団の編集ボタンを押します。
師団デザイン画面が出てくるので、軽戦車旅団の上をクリックし、中戦車旅団を選べばOKです。


こういう風になるはず


さて、そろそろチェコも併合し、ポーランド侵攻も見えてくる時代になりました。
HoI4では作戦計画を自ら立案し、AIがそれにそって軍隊を動かします。(手動操作も可能です)

ではポーランド戦線を担当する軍を作っていきましょう。
まず適当に師団を選択して、中央下の+が入っている箱をクリックすると、軍(Army)を作成できます。左上の指導者欄が空白だと思うので、まずそこをクリックして軍の司令官を選択しましょう。とりあえずルントシュテットを選ぶことをおすすめします。

次に、他にポーランド戦線で戦わせたい部隊を選択して、中央したのルントシュテット(あるいは貴方が選んだ将軍)の上で右クリックして下さい。部隊がその将軍の指揮下に入ります。




そして、今度は将軍を左クリックし、ポップアップから軍の前線指定を左クリックし、ポーランド国境上で再度左クリックします。東プロイセン側の国境も忘れないように。国境上に線が引かれれば成功です。

そうすると将軍指揮下の部隊が一斉に指定した前線に向かって動き出すはずです。
作戦の作り方は後ほど説明します。


あれ、先ほどから新しい部隊が全く生産されていません。キューにはきちんと入れているんだけど...



ほぼ完成しているのに生産されてきません。マウスカーソルを合わせると原因が分かりました。
大砲の生産が全く追いついていないのです。生産タブで大砲を担当する工場を増やしたところ、次々と歩兵が湧いてきました。

このように、生産が遅いあるいは止まっている場合は必須装備品のゲージにマウスカーソルを合わせてみれば大体原因がわかります。


さて、ポーランドに勝つには十分な兵士が生産されてきたため、実際の作戦をねります。
実際のドイツ軍の作戦からエッセンスを抜き出したシンプルなものを作ります。
以下の画像を目指してみましょう。



攻撃(攻勢ライン)の引き方
将軍をクリックし、ポップアップ左から4番めの攻勢ラインをクリック。
次に右クリックしたまま、こちらの前線から目的のラインをなぞるようにマウスをドラッグします。


慣れるまではなかなか思い通りにいかないので、何回か失敗しても怒らないで下さい。

ひけましたか?
このままでは攻勢を担当する部隊がいません。とりあえず将軍指揮下の全軍を選択して、4つ上の画像を参考して"部隊の前線指定"をクリックし、攻勢ラインをクリックして下さい。
攻勢ラインの上に ""X Divisions, Y Army" と出ていれば成功です。

ワルシャワを落とすだけではポーランドは降伏しないので、同じような攻勢ラインをダンツィヒとポズナニにも作って下さい。

それができたら、あとはイベント "Danzig or War"を起こします。




ポーランドと戦争状態になったら中央下の将軍の顔の上にある→マークをクリックすると、作戦が発動します。


1ヶ月もたてばこうなります。

ワルシャワ陥落
ポーランド降伏


以上となります。


要望があれば空軍の使い方やより上手な作戦計画の作り方、部隊編成なども説明します。

2016年1月14日木曜日

戦後の自衛隊における単語の意味論: 自尊心、名誉、歴史

John Wright. Postwar Semantics in Japan’s Self-Defense Forces. The DIplomat
http://thediplomat.com/2016/01/postwar-semantics-in-japans-self-defense-forces/

日米同盟は世界で最も強力な同盟の1つである。それは単に経済的・外交的な取り決めが多いというだけでなく、一般人ですら容易に気付き得る軍事的協力の深さである。自衛隊の人員はアジアにおける殆どの大規模な軍事演習において米軍と共に活動しているし、現在進行中の能力向上と技術交換は日米軍事パートナーシップをアジアで最も強固で先進的なものとした。両国は活動基地を共有しており、同じ海域をパトロールし、同じ空域で訓練を行う。端的に言えば、日米の軍事協力は良質で広範である。

ところが、日本に赴任した外国の士官は自衛隊特有の現象にすぐ直面する。それは、軍事用語が第二次世界大戦後の辞書では改訂されていることだ。歩兵や砲兵の日本語訳を考えても、"歩兵"や"砲兵"といった言葉を使っている人はいない。話し相手として大尉や少佐、大佐を探しても、彼が見つけるのは奇妙な数字で名付けられた人員たちだけだ(1等、2等、3等といったような)。"駆逐艦"や"巡洋艦"の情報を調べたい海軍士官は検索結果が出ないことに途方に暮れるだろう。

では、こうした言葉の歪みの原因は何なのだろうか?それは戦後の日本軍が軍事クーデター、憲法秩序の放棄、強欲な侵略戦争といった大日本帝国軍の戦時の負の遺産から自らを切り離そうとしたからだ。そのため、1951年に始まる日本の再軍備はある実験的取り組みをした。もし部隊、専門、艦船の区分け、更には軍人の階級に対してよりキレイな名前をつければ、軍国主義の再来の危険性が下がり、自衛隊が本物の軍隊であることが見えにくくなるのではないか?


新しい軍隊、新しい名前

アメリカの占領軍によって終戦直後に解体された組織の中の筆頭は大日本帝国陸軍と海軍である。本国に送還中の兵員は速やかに動員解除され、旧軍の士官たちは戦時の経験を活かせる場所を見つけられず彷徨っており、占領軍は彼らを再雇用するつもりなどなかった。帝国軍の徹底した動員解除とは裏腹に、冷戦への必要性から特別交渉官のジョン・フォスター・ダレスは1951年に、日本が国防のため(そしてソ連を妨げるため)の軍隊を編成するよう求めた。吉田茂首相は合計5万名の陸、海、空軍を創立すること、最終的には7万5千名にまで拡大することに合意した。旧陸軍と旧海軍が徹底的に解体されたため、日本は殆どゼロからのスタートをしなければならなかった。そしてアメリカはこの新しい軍隊の訓練や装備品の世話を。旧軍を解体したときのようなはやいスピードで行った。

そのために、アメリカ陸軍の士官であるフランク・コワルスキー大佐が再軍備の指揮を取った。再軍備はこの記事に関連のある2つの大きな目標を持っていた。軍国主義の再起を防ぐため、帝国の邪悪な影響が絶対に士官たちに及ばないようにすること、そして可能な限り精神的に戦時の軍隊から独立した防衛軍を作ることである。これは旧来の軍事概念に対して新しい名前を開発することに繋がった。第二次世界大戦中に日本が日常的に使っていたような用語でさえ、アジア各地を行進した帝国軍旗を想起するような恐ろしさがあった。日本の国防軍創設に携わったアメリカ人はそのようなイメージが、アジアにおける将来の同盟国となりうるような国が米国の影響圏から抜け出すことや、突発的に日本で戦争感情に繋がると考え、それを避けた。従って、名称変更の最初の目標は出来る限り戦前と戦後の日本軍のイメージに距離(と違い)を作ることであった。自衛隊の士気、自尊心、そして市民がどう自衛隊を見ているかを考えるとき、これは重要な意味を帯びてくる。

戦前から戦後にかけての単語の変化は日常的に自衛隊と接触している人でなければ理解し難いだろう。微かな違いは、戦前と戦後で同じ翻訳の仕方をしている英語では表せない。例えば、新人の翻訳者は"infantry"を"歩兵"と訳すだろう---文字通り"歩く兵士"という意味の単語で、第二次世界大戦以前は確かに"infantry"は"歩兵"であった。しかし、実際には、戦後日本でこれは死語であり、正確には"普通科"という。これは字義通りには"一般兵"であるが、"infantry"を意味する。旧来からの軍事概念を示す戦後日本の新単語は、厳格で頑固な旧軍の亡霊を薄めるために、過去との分離を示している。

これが変化した頻出の用語のリストである。このリストは全ての語を含んではいないが、目的は明らかであろう。現代日本の用語は可能な限り"軍隊"のイメージを和らげるか、誤魔化そうとしている。


*面倒なのでここは訳しません
(略)


それはプライドであり、軍国主義ではない


自衛隊の観点では殆どの人員はこうした単語の違いに関して相反する感情を抱いている。馬鹿馬鹿しいと思うか、取り入れるか。結局のところ、効率的な戦闘部隊であることの大部分はプライドに依っており、毎日の任務で使われる用語が屈辱の過去や自らの歴史との断絶を思い起こすような場所で仕事をしていてはプライドは得られない。実のところ、自衛隊員と他国の軍人との日常会話では戦前の用語が思わず出てくることはよくあるし、階級や肩書の話では特にそうである。"航空自衛隊"の議論から始めても、会話が終わる頃には"空軍"という、自衛隊が公的文章では避けようとしている言葉を使っている。更に、伝統的な用語法では軍事組織というのは攻撃能力を含んでいるが、自衛隊は防衛的任務のみに制限されており、日本政府はその専守防衛のイメージを作り出すのに苦労した。従って、この苦労を無駄にするような用語は、特に政策レベルでは、避けられている。

東アジアでは非合理的な恐怖がしばしば沸き起こるけれども、古い用語に戻ってしまうことは、戦前の軍国主義に戻ってしまうことを意味しない。むしろ、彼らの口から古い用語が出てくるのは、他国で、そして200年間戦争をしていないスウェーデンやスイスのような国も含めて、国際的に戦前の用語が今でも使われているからである。通常会話でそういた単語が出てくるのは当然だろう。実のところ、自衛隊員がよくシンプルな"陸軍", "海軍", "空軍"といった単語を使うのは、ただ単に言いやすいというだけでなく、それらの単語が軍の歴史と文化の伝統を表象しているからでもある。自衛隊が"防衛軍"であるのはここ65年のことで、19世紀の創設以来それは"軍隊"であった。伝統というものはそうした歴史を引き継いでいるのだ。似たような事例として、アメリカが"戦争省"を"防衛省"に変えたとき、それは歴史的に区別し難いものであり、名前の変化はその省の目的に小さな変化を及ぼし、変化していく政治の世界を反映していたが、戦争省の伝統は名前の変化に関わらず、防衛省、個々人の中にまだ生きている。


現在への含み


この名前の変化は幾つかの含みを持っている。名前の変化を珍奇と後悔の念で見つめながら、太平洋におけるより活発な防衛パートナーを求めているアメリカのエリートもいる。多くの推測では、名前の変化は、GHQが持っていた脱軍事化という憲法9条に代表される理想主義的な目標を満たすことと、戦間期にドイツがそうなったように日本が軍国主義に再び戻る危険性を最小化することを目的とした実験であった。それでもやはり、新しい名前も習慣となり、習慣は伝統となりつつある。より直接的で"戦争っぽい"用語への回帰は単に一人前の軍隊の地位が戻るだけの結果に終わる、というのが最もあり得る話だ。

新たな用語を作り出し、古いものを消し去ることは、自衛隊と民間との間に溝を作り出した。当時既に軍は不人気ではあったが、基本的な役割の階級や名前を変えることで、軍事に関わることを避けていた一般市民は更に軍事への基本的な関心さえ失ってしまった。"軍曹"という単語を聞いたことは少なくともあり、軍隊での階級や仕事の大まかな違いぐらいは分かる一般的なアメリカ市民とは対照的に、長い間日本人は、最も貧しい者から政策決定者まで、自衛隊を積極的に蔑んできた。母国の人々に軽視され、意図的に去勢された名前を使うように強制された自衛隊が、古い名前をしばしば使うことは何ら不自然ではない。そうしなければ、歴史を無視するだけでなくて、自己嫌悪や部隊の士気悪化にも繋がってしまうかもしれない。

色々な意見はあるだろうが、自衛隊の任務や信用に関わる自衛隊の日常生活という、めったに語られないけれどもしかし常にそこにある側面を、ある理解されにくい意味で、戦後の軍事用語の変化は反映しているのかもしれない。特に、お互い違う意味で政治的に攻撃されている2つの辞書<語彙集>を持っていることで、自衛隊は歴史的なプライド・戦後の嫌悪と、彼らの通常任務に関わる信用・他国の軍隊は味わっていないような微妙な地位の間の不安定なバランスを取り続けている。


>John Wright is a U.S. Air Force officer and pilot. He is currently assigned to Tokyo as a fellow for the Mansfield Foundation, which is dedicated to U.S.-Japan cooperation via intense US federal employee exchange and placement in the Japanese government.  The views expressed in this article are solely those of the author, and not those of the U.S. Air Force, U.S. Government, or Government of Japan.



私は自衛隊に勤務経験を持たないため、実際どの程度まで現役自衛官が"戦争っぽい"用語を使用しているから分かりません。

しかし、軍艦を全て"護衛艦"と称すなど、歴史のある国際的に用いられている軍事用語から過度に乖離してしまうことには意味はないでしょう。自衛隊は"自衛隊"であって軍隊で無いのでしょうか?戦後の日本において、自衛隊を軍と呼ぶことで避難されてきた政治家はたくさんいます。

しかし、建前はともかく、自衛隊が軍隊ではないと思っている人は実際にいるのでしょうか。しかも、自衛隊は公式な英語名をJapan Self-Defense Forcesとしていますが、forcesは一般的に"軍"と邦訳される言葉です。英語で"自衛隊"とはいえないのです。(Unitsでなくforcesにしたことは興味深いですね)

国内で蔑すまれてきた自衛隊ですが、近年ようやく地位を得つつあるように思えます。3.11以後の復興支援だけでなく、人民解放軍の強力さが知れ渡ってきていることもあるでしょう。

我々市民は自衛隊を蔑むことなく、しかし過大評価することもなく、文民の制御下にあるかを常々チェックしながら共生するべきではないでしょうか。



*この記事はThe Diplomatの許諾を得て翻訳しました。
This article is translated with the permission from The Diplomat.